プロのライターの共通点とは

プロのライターが持っている共通点とはなんでしょうか。そして文章のプロとして活動するための能力とは。16年間プロとして仕事をしている斎藤充博さんが気づいたことを語っています。
斎藤充博 2025.12.12
誰でも

ニュースレタープラットフォームである「theLetter」に書き手としてお誘いいただいた。

このtheLetterは「プロ・専門家専門家によるストック型執筆プラットフォーム」だという。書き手を見ると、医師や、ジャーナリストなどが多い。Xを見ていたら田原総一朗がtheLetterを始めたという告知が飛び込んできて驚いた。田原総一朗って。

theLetterから僕が期待されているのは「プロのライターとしての情報発信」だという。田原総一朗が横で情報発信しているのに(文章を読んでいてもあの口調が再生されてすごい)、僕がなにか言うことがあるのか。

そこで、このtheLetterでは、決して有名人でないライター・編集者である僕が、仕事場の片隅で感じた小さな疑問や、一般の人でも使えるような現場感あふれるtipsなどを中心に発信して行こうと思う。今回はプロのライターの共通点について語ってみたい。

いろいろなプロがいる

僕がライターとしてデビューしたのは2009年のことだ。そこから16年以上もライターとして活動している。執筆実績がある中で知名度があるところを挙げていくと、「FLASH」「少年ジャンプ+」「ファミ通.com」「デイリーポータルZ」「IT media」「ねとらぼ」などだ。やわらかい媒体でゆるゆるに活動してきた。

ライターとしてのギャラで生活しているのでプロのライターと言っていいだろう。ただ、そんなに文章がうまいわけでもないし。誤字脱字も多い。あんまり言葉も知らない。ジャーナリスト的な精神も薄い。それでもやっぱりプロではあると思う。

プロのライターとは「これまで自分の文章を直され続けてきた人」

このようにプロといっても、活動しているフィールドも様々で、実力も千差万別である。それでも共通している点がある。その共通点とは、「これまでに自分の書いた文章をめちゃくちゃに直され続けてきた」ことだ。

「文章の上手な書き方」のような本を読んだことがあるだろうか。そうした本はたいてい「××のような書き方はダメ」と、NG事例集のような形をとっている。

確かに文章は読みやすくなるかもしれないが、全部守って文章を書くこと自体が窮屈に感じ、イヤになってしまいそうである。

ところが、プロのライターは、そんな本の1000倍、いや10000倍くらいは「××のような書き方はダメ」と言われ続けた人間なのだ。それは雑誌の編集者だったり、事業会社のクライアントだったり、あるいはSNSの中にいるぜんぜん知らない人だったり、インタビューの相手だったりもする。

それも、自分の書いた文章に対して、直接ダメと言われるのだ。自分の文章をほぼ別の形に書き換えられてしまうことだって少なくない(というか、あるあるだと思う)。もう、窮屈に感じるとか、そういう次元ではない。

僕も16年以上ダメだと言われ続けてきた。そう、いまだって普通に「ここダメなので修正してください」(実際はもっとやわらかい形で指摘されるが)と言われている。

文章のうまさにかかわらず修正は入る

ははあ、斎藤は文章があまりうまくないから、いまだにダメ出しをされるわけだ……。なんて思ったでしょう。それはそれであるかもしれないが、うまい文章だってダメ出しはされる。

仕事としての文章は、単にうまいとかヘタとか、おもしろいとかつまらないとか、そういう尺度とは別の基準で計られる。そしてその基準は常に変化している。だからその都度ダメ出しはされるわけだ。

僕は編集の仕事もしている。ときには流行りの文筆家や、高名な作家に寄稿を依頼することもある。そういった方々にも、僕ごときが文章の修正をお願いしている。修正はどこまで行ってもつきまとうものなのだ。

このニュースレターを読んでいる人の中には、ひょっとしたら「プロのライターになりたい」とか、「文章で食っていきたい」なんて考えている人もいるかもしれない。

プロのライターになるのに必要なことは、文章がうまいことでもないし、頭がいいことでもない。「お前の文章はぜんぜんダメ」と言われても、次の文章を書ける能力である。

それでも書き続けるには

こうした能力はどうやったら身につくのだろうか。

よくこんなことが言われている。

「プロのクリエイターは自分自身と、自分の創作物は常に分けて考えなくてはいけない」と言っていた。ライターの場合は「文章にダメ出しをされたからといっても、自分自身にダメ出しをされたわけではない」

この意見は正しい。ダメ出しをしている側は、商品たる文章をブラッシュアップしたいだけだ。別に書いたその人自身についてダメ出しをしたり、ましてや存在を否定したいわけではない。こうした考えを身につけることがまずは第一である。

……ただ、けっこう難しいのではないだろうか。なにしろ、僕自信がこんなふうに考えられないタイプなのだ。

僕はこれまでにさまざまな文章を仕事で作ってきた。

まず、このニュースレターのように自分自身の考えを書くようなものがある。こうした文章に指摘をされると、やはりどうしても傷ついてしまう。どうしても自分自身と不可分なのだろう。

これまでの経験から「指摘を受けて積極的に直した方が、いい文章に仕上がる」ということも頭ではわかっている。ましてや自分は40代中盤のおじさんで、若い頃のような自意識は相当に弱くなっている。それでも心のどこかしらが、ちょっとは傷ついている。まったく無傷ということはない。

次に、自分の考えがほとんど乗っていないタイプの文章を作ることもある。人にインタビューをして、その人の考えを文章化する、というようなものだ。ゴーストライターがイメージに近いかもしれない。そして、そういった文章に対する指摘も、やっぱりちょっと傷ついている。どうしてなんだろうと自分でも不思議だ。

ちなみに、自分が「傷ついている」ことに気づいたのはつい最近のことである。それまでは自分の文章にいくらダメ出しが入っても、そんなに気にしていなかった。プロとして、自分自身と自分の創作物は分けて考えられている、と思っていたのだ。そうでもなかった。

ライター業はよくある労働の形

「傷ついている」なんていっても、そこまで大変なことではない。日常、いろんなことで大なり小なり傷ついているが、その中のひとつ、という感じである。ぜんぜん耐えられるし、というか耐えてここまで来た。よくある労働の形という感じがする。

この間、僕のライターの先輩が「意外かもしれないがライター業は感情労働だ」とXでつぶやいていた。それだ! 感情労働。

一般的に感情労働などというと、対面で接客を行うサービス業と思われがちである。しかし、さっきのような僕のことを考えると、やっぱり感情労働の要素はある。そして、先輩も僕と同じなのかとうれしくなった。案外こうしたタイプは多いのかもしれない。

さて、「プロのライターになりたい」「文章で食っていきたい」という人は、ライター業を感情労働として捉えているだろうか。むしろ、自分の感情を大事にしたいから文章を職業にしたい、なんて考えているのでは?  実際は逆である。この点は注意した方がいいかもしれない。

いろいろ好き勝手に書いてしまったので、最後にまとめよう。プロのライターの共通点とは、文章を直され続けてきたということ。直されても次の文章を書く能力には「気にしない」か「労働と捉える」こと。

う~ん。……初回から夢もロマンもない内容になってしまったことを、お詫びしたいです。

お知らせ

書き下ろしエッセイ本が出ます!

『生きることがラクになる これからのフリーランス』(光文社)

2025年12月17日発売です。

紹介ページはこちらから。

無料で「取材ライター・編集者 斎藤充博の現場メモ」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら